日常での思うようにいかない場面
イキイキと楽しく毎日を過ごせたらいいなと思いながらも
現実はなかなか大変で、思うようにいかないこともたくさんあるのではないでしょうか?
- 幸せに生きたいと思っているのに、人生を楽しめていない
- 本当は自分を好きになりたいのに、嫌いになることがある
- 何かをやりたいという願望はあるけれど、あきらめてしまっていることが多い
- 自分らしく振る舞いたいのに、人の行動や発言に振り回されることが多い
こんな風に感じて、なぜかわからないけど葛藤している状況ってありませんか?
ケース1:不満はないけど不安な私
30代のOL。大企業の総務部で働いており、仕事はそれなりに面白いので一生懸命やっている。
周りから必要とされているし、人間関係も悪くないので、取り立てて大きな不満はない。
ただ、派遣社員の身分のため将来に不安がある。
年齢も、もう30代後半。
あからさまには言われないけれど、周りから負け犬みたいに思われているんじゃないかと憂鬱になる時がある。
「女性はやっぱり結婚して一人前」みたいな言葉にちょっとムキになって反論してしまったり。
でも今はいい相手がいない。
これまでやった仕事は一般事務ばかりで、派遣先が2,3年毎に変わったこともあって、仕事一筋と言うほどのキャリアも自信もない。
居心地がいいからと、この先もこのままでいいのか、漠然とした不安がいつもある。
資格取得や転職も考えるけれど、自分が何をやりたいのか、何に向いているのかがわからないので、動けずにいる。
「このままではいけない」という気持ちと「でもどうしていいかわからないし、自信もない」という気持ちとの葛藤に苦しんでいる。
ケース2:一生懸命努力しても評価されない職場
派遣社員として働いて8年。
職場ではベテランと言われており、かなり一生懸命働いているつもりだが、上司はいい加減でやる気のない人ばかり。
顧客対応で困っていても、任せてるからと知らん振りする。
口では「よくやってくれている」と言うが、昇進も昇給もない。
同僚は時間内だけ働けばいいという感覚で、結構適当に手を抜いているのがわかる。
私はそんな働き方はしたくないと思うが、やってもやらなくても給料は同じかと思うと、バカバカしくなる。
専門職として仕事の質を上げようと、これまで自分の時間とお金を使ってスキルアップのための勉強を続けてきた。
それも、プロとしての仕事をしたいと思っているからなのに、現状ではいくらやっても評価が伴わず、待遇は全く変わらない。
だんだん仕事に対するやる気がなくなってきているのが自分でもわかる。
その一方、そういう自分が許せず、だんだん嫌いになっていくのも辛い。
「仕事は誠実に一生懸命やるべきだ」という気持ちと「でも、そこまでしてしんどい思いをしなくてもいいじゃない」という気持ちとの葛藤が常にある。何とかしたいけれど、どうしたらいいのかわからない。
ケース3:子供との関わりでストレス一杯
5歳の息子にピアノを習わせているが、自分からやりたいと言い出したのに、練習をしない。
練習していかないと息子が困るし、グループレッスンで他のお母さんの目もあるので、毎日練習を見てやっている。
ちゃんと練習すると何度も約束したのに、結局やらず、
最後には感情的に叱り付けてやらせることになってしまう。
しつけの点からは、決めたことは最後までやらせるべきだが、
こんなことしてたらピアノが嫌いになってしまうと一方では心配になる。
子供を怒った後で、いつも自己嫌悪に陥るが、どうしていいかわからない。
感情的になると、自分らしく振る舞えず、言動をコントロールできないことにショックを受けている。
「(子供のために)きちんとやらせなきゃいけない」と思う気持ちと、 「こんな言い方したら子供のやる気をつぶしちゃうな。私ってなんてダメな母親」と自分を責める気持ちとの葛藤に苦しんでいる。 でもどうしたらいいかわからない。
思うようにいかない要因
- 自分はどんな人か?
- 自分が本当に求めているものは何か?
- 自分は何を大切にして生きているのか?
このような質問にすぐに答えられる人は、なかなかいないのではないでしょうか?
…私自身もその一人でした。
自分のことがよくわからないために、自分が誰で何をしたいのかがわからない。
だから自分自身で望ましい方向性を選択できないし、他人の意見に振り回されるといったことも起こる。目の前の状況に翻弄されて軸足が定まらないまま、人や出来事に反応し続けている。
何かが違う、と思いながらも葛藤の中でもがき続ける。
それはとても苦しいので、すぐにもらえる答えを求めてついつい自分の外に目を向けてしまう。
原因は自分自身のことがわからないからではないでしょうか?
自分のことがわからない状態
毎日毎日しなくてはならない目の前のこと、仕事や家事や子育てに追われて、じっと立ち止まって自分のことを考えるという余裕もなく、走り続けてきた、という人が多いのではないかと思います。
心のどこかで、自分を深く見る必要があるとわかっていても、無意識に自分の中を見ることを避けていたのかもしれません。それは「本来の自分って価値のないとてもちっぽけな存在なんじゃないか?」という恐怖からくるのかもしれません。
見ることを避けているうちに、見ることができなくなり、
そのうち本当の自分が何なのかわからなくなってしまっていたということが起こります。
私たちは自分や人を見る時、それぞれのフィルターを通して見ています。それは、小さいときから言われ続けてきた親や世間の価値観や、今までの体験、誰かに言われたことなどによって大きく影響を受けています。知らず知らず本来の自分自身の上に、いろんなフィルターを刷り込まれた自分になってしまっているのです。
ケース1:丸ごと全部の自分が出せなくなってしまう
「お姉ちゃんは優しいけどあなたは気が強い」と小さい頃から親に言われて育つと、いつのまにか刷り込みが起こってその通りの自分になろうとする意識が働いてしまうことがあります。
確かに自己主張が強い面はあるけれど、それが全部ではないのです。
けれどいつの間にか、本当は優しくしたいときでも、違和感を感じながらも、気が強くきつい自分を演じてしまうようになっていきます。
こうして、本来は持っている優しい部分をいつの間にか見なくなっていく可能性があるのです。
ケース2:たった一度の体験から苦手だと思い込んでしまう
人前で話すのが大の苦手、という人の話を聞いていくと、小学校で発言した時、上手く話せなくて皆に笑われたから、と言う理由が結構あります。何十年も前のたった一度の体験で、「自分は人前で話すことが苦手だ」という思い込みが生まれてしまうことがあるのです。
このような他人に刷り込まれたフィルターや自分自身の思い込みを身にまとっていくうちに、
いつのまにか本来の自分がどれかわからなくなってしまい、次第に自分の事を見ようともしなくなっていることも多いのではないでしょうか?
やはりまずは自分自身を知る必要があるのではないでしょうか?
自分のことが知りたいあなたはコーチングのページをご覧ください。